一般の部

優秀賞

ミトンを編みながら
埼玉県北足立郡 森田もりた ルミ(65)

 ブー、ブー。朝から携帯のバイブが鳴っている。「危険!屋外での活動は控えてください」。連日、記録的な猛暑日が続いている今年の夏、日に何度も外へ出るなと気象庁が警告を発して来る。洗濯物を干すだけでも、汗が出る。言われるまでもなく、私は普段から外出はほとんどしない。そして、この猛暑の最中、あろうことか、毎日手袋を編んでいる。
 二〇二二年二月、ロシアがウクライナに侵攻した。それが私と手袋が出会うきっかけとなった。それまで知らなかったウクライナやロシア近郊のバルト三国の事を調べていて、ラトビアミトンに出会ったのだ。それまで全く知らなかった遠い国、そこで女達の間で脈々と受け継がれていく手仕事、想い、願い。三角に作られたミトンの、なんと繊細で美しいことだろうか。私は元々、手芸が好きで、コロナ禍になってからは、それが余計顕著になった。刺繍ししゅう、縫い物、アクセサリー作り、編み物。ネットのリコメンド機能は便利で、次々に私の好きそうな物を紹介してきた。本を買い、材料をそろえ、私のおうち時間は、楽しく有意義な時間となった。
 そういった時間を多分他の人より、充実した事と感じたのには、もう一つ理由がある。私には長年の既往症きおうしょうがある。三人目の子供の出生直後の発症なので、そろそろ三十年か。パニック障害という、今ではかなりメジャーで、病気というより個性であると考えましょう! というヤツだ。
 この「個性」は、辛い。各々、症状に違いがあるので、一概に言えるものではないが、私の症状は、発作が起きると、意識はあるのに全身がしびれて動かないという症状が出る。姑のいる農家、毎晩午前様の主人、三人の子供という環境の中で、二度、三度と救急車を呼ぶ騒ぎとなった。
 脳腫瘍のうしゅよう、一過性、気のせい、うつ病、自律神経、わがまま等々言われる中、様々な検査を経て、最後は心療内科に通い、カウンセラーの世話になった。その中でこの「個性」と共存していく事を考えて、発作が起きる事態を避けて暮らしてきたのだ。まず、電車に乗れない。映画館、コンサートホールに入れない。初めのうちは、美容院、歯医者など、動けない場所も一切ダメだった。
 パニック障害の厄介なところは、予期不安が強いことだ。発作が起きたらどうしようと思うことが、発作を招いてしまう。運転中に発作が起きたらと思うと、渋滞は無論、陸橋、アンダーパス、踏切も避けなければならない。すぐに横道で停車できる状況でないとダメなのだ。もちろん、頭ではわかっている。私はどこも悪くないし、普通にただ運転をしていればいいと。それなのに、思考は全てマイナス方向に向かってしまう。発作時の恐怖は、本当にひどいもので、この死にそうな恐怖から逃れるために死にたいとすら思う。子供達に不安を与えないために、私は何年も最大限の安全策をとって暮らしてきた。
 犬を多頭飼いし、自宅で仕事をし、「家が職場」の人となった。子供の学校の行事には行けなかった。「お母さんは出かけるのが嫌い」と子供達は思っていた。ごめんね、と心の中で謝った。いつも後ろめたく、いつもそんな自分を責めていた。子供達が大人になり、親の出番がなくなった頃、姑が他界した。そして、私はやっと少しだけ電車に乗れるようになった。それでも、なるべくなら、家にいたいのだ。長年の習い性がそうさせているのだと思う。どこへも旅行に行かない私に、他人は驚く。そして驚かれるたびに私は傷ついてきた。感染拡大を阻止するために、なるべくおうちにいてください。不要不急の外出はしないでください、というコロナ禍は、誤解を恐れずにいうと、私には優しい言葉だったのだ。
 そんな私が、ラトビアミトンと出会い、遠い国に思いを馳せている。何冊も本を読むたびに、この国に行ってみたい、実際に売っている店、編んでいる人に会いたいと思うようになった。
 自分から、どこかへ行きたいなんて思ったことはなかった。それほど、この国のミトンは魅力的なのだ。それぞれに意味のある文様や、プロポーズの返事や結婚式にミトンを配るならわしや、魔除けとして、馬小屋にまでミトンを飾る風習など、どれをとっても心揺さぶられる事ばかりだ。
 どうか早く争いが終わってみんなが幸せに暮らせる世界になってほしいと願いながら、毎日、自分で編み図を描き、ただただ針を動かしている。段ボールに山積みとなっている完成したミトンはどうしたものか? 私はいつかラトビアに行けるのだろうか? はるか遠い国を夢見ながら、一段一段模様が出来上がっていくことが、どれほど幸せなことか。このミトンとの出会いこそ、心躍らせるときめきである。そして私の「個性」もこのミトンの前ではおそらく鳴りを潜めるのではないかと思うのだ。

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