中学生の部

大賞

魔法の箱と幸せな時間
東京都立大泉高等学校附属中学校 2年 太田 理穂おおた りほ

 私の母は、昔司書として働いていた。私が生まれる直前には東大の法学部の図書室で働いていたらしい。まだ小さい私を抱いてその図書室で撮った写真がアルバムに残っている。
 その母は、本が好きだから司書になったという。もちろんそんな母に育てられた私も本好きとして育ち、図書館をよく利用している。
 私は図書館が好きだ。図書館、という言葉から連想されるのは、たくさんの本と、その先にあるまだ見ぬ世界、というのは少し詩的すぎるだろうか。
 でも、私にとって図書館とはそういう場所だ。たくさんの夢が詰まった、まるで魔法の箱のような場所。言いすぎかもしれないが、私にとって図書館が限りなく魅力的な場所であることに変わりはない。
 しかし、私がときめくのは図書館自体ではない。図書館の、あの静謐せいひつな空気感でもなければ、整然と並べられた、読まれることを待つ本たちでもないし、くるくると忙しく働いている図書館の人々でもない。もちろんそれらはすべて、私の目にひどく魅力的に映るものではあるが、私が本当にときめくのは、そういったものたちではない。私をときめかせるのは、書架に並んだ本たちを眺めながらそぞろ歩く時間そのものだ。
 まだ読んだことのない本たちと、この前読んで、新しくお気に入りの脳内コレクションの中に追加された本や、大昔に読んでもう内容を覚えていないような本。そんな本たちを眺めながら歩くのは間違いなく最高の瞬間だと思う。
 そうやって歩いていく途中で、題名にかれた本、著者名に惹かれた本、この前どこかで見て気になっていた本、と次々手に取っていくと、いつの間にか私の左手には数冊の本が収まっている。まるで、そこが正しい場所ですと言わんばかりの顔をして。
 何度も書架しょかながめた、普段から通っている図書館でもそれは変わらない。書架の並びは何も変わっていないはずなのに、行くたびに私の目に映る本たちは様子を変えている。以前は目に入らなかった本が急に自分のことを主張してきたり、一度読むことをあきらめた本がもう一度自分を手に取って、開いてみてくれと訴えかけてきたり、そんな時の書架は騒がしくて仕方がない。そんな本たちを、しょうがないな、と心の中でつぶやきながら手に取っている私は、きっととても幸せな顔をしているはずだ。
 世界中にあるすべての本を読んでみたい、なんて高望みはしないけれど、目に見える範囲にある本には、背伸びをしてでも手を伸ばして、貪欲どんよくに活字をむさぼり続けたい。
 そう願う私が今最もときめくものは、私を大好きな本たちに出会わせてくれる、図書館の書架を歩いている時間なのだ。

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