一般の部

優秀賞

水道メーター
大阪府和泉市 甲野 元三こうの げんぞう(73)

彼岸花ひがんばなが満開でしたが、昼間は依然として夏の日差しが居座っていました。もっとも私は、暑かろうが寒かろうが何の興味もありませんでした。私は、妻がってから電池の尽きた体重計がどんなに軽い者でもどんなに重い者でも何一つ反応しないように、魂を何処どこかに置き忘れてしまって何もかも止まったままでした。
 私は、世の中からすっかり見捨てられてしまっている感じがしていました。近くの公園で毎朝行っているラジオ体操にも参加せず、妻が通っていた英会話教室にも足を向けず、だらだらやまいわずらいゴロゴロしているだけの人生。
 生活態度を改めて、とにかく外へ出ようと考え、
「おうい、半袖シャツを出してくれぇ」
 と、言ってもうんともすんとも言いません。
「おおい、ハンカチはどの引き出しなんだぁ」
 返事がない。ことりとも音がしません。
「ああ、そうか、いないんだぁ」
 私は妻が旅立ってしまった現実にぶち当たり、ドスンと腰を落とし、ぬらりくらりと過ごしてしまうのです。私の喪失感は彼女が愛妻であったとか、私が妻を愛していたとか、そんなことではないのです。
 私は迷い子のようにただただキョロキョロしているだけで、いっそ子どものように泣き叫んでみようかとさえ思うような空虚感におぼれていたのです。出るのはやる気でも意欲でもなく、ため息だけです。もしため息に形があるなら、部屋中いたる所にため息が山積みになって足の踏み場もない始末でしょう。
 朝、昼、晩とコンビニで弁当を買ってくれば簡単に命をつなぐことはできますが、ただ生きている気がしないのです。見ていないTVの画面だけが変わるだけの日々では生きているという実感を自分の体で確かめることができません。
 木曜日でした。私はいつものように視線を遠くへ投げ、過去にくるまって、ぼんやりとしていました。突然、
「ピンポーン」
 と鳴ったのです。玄関に見慣れない女性が立っていました。私は、先日のように宗教の勧誘だと思い、うんざり顔を女性に向けました。すると、女性は何やら紙片を見ながら、
「どうかされましたか」
 と、柔らかい眼差まなざしで問いかけてきたのです。私が首をひねっていますと彼女は、
「いえねえ、急に水道の使用量が減っていますので、何かあったのかと思いまして」
 と優しい言葉をかけてくださったので、やっと私は、彼女が水道メーター検針員だと分かったのでした。
 彼女の応対は、会社で水道の使用量に急激な変化があればたずねるように指導を受けているからというようなものではありません。くさるほど生きてきた私です、彼女の話し方を見れば、察しがつきます。
 妻は清潔好きで、夏になれば二度も三度もシャワーを浴びたり、風呂を使っていました。私は、気が向けば風呂に入るというずぼら者で、しかも妻のように始終浴槽よくそうを洗ったりしません。私は、水の使用量減少の理由を女性に告げました。すると彼女は検針票を手渡しながらやみを述べて次の家へ向かいました。
 私は彼女の後ろ姿を見詰みつめながら、私のことを気にかけてくれる奇特な人が、まだこの世にいたのかと思うと子どもが百点満点の答案用紙を返してもらった時のように、青年が憧れの美人とデートの約束を取り交わした時のように、心が飛び跳ねていました。
 私は一日中、水道のせんを開けっ放しにしておけば、また彼女が心配をして声をかけてくれるかも……、と本気で考えたりしました。
 とたんに私は誰かに伝えなければ収まらなくなりました。
「妻だ、墓参りだ」
 電車で十分、駅舎を出て十五分、老人デイサービスセンターを左に曲がり葛折つづらおりの道を上り詰めると妻が眠っている墓地があります。午後の太陽は大分だいぶ傾き、木陰に入ると吹く風は秋でした。
 私は、ようよう辿たどり着いた妻の墓前で、
「こんな私でも見守ってくれている人がいるんだぞう」
 と散々さんざん自慢してやりました。それから帰りの坂道の途中、「こんにちは」
 三人の小学生のキラキラした声に出会いました。私は、ぐに、「こんにちは」と返すと同時に、頭の中に子ども見守り隊をやろうという考えが走ったのです。
 こうして子ども見守り隊になって三カ月、登下校の子どもたちと接していると私は、枯れかかった私という老樹に新芽が吹いているのを見つけたのでした。

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