中学生の部

優秀賞

「修行」中学生
札幌市立向陵中学校 1年 堀山 直浩ほりやま なおひろ

 世の中にあふれている、今までだったら〝普通〟だとか、〝当たり前〟と思ってきたこと。実際はそれらのすべてが全く、〝普通〟でも〝当たり前〟でもないのだと僕は知った。
 学校が毎日あるのも、友達みんなと毎日会って笑って会話をできることも。家族で楽しく外出や外食できることも……。そうした日常が僕らの生きる世界から急に消え去った小学校六年生の二月下旬~中学校一年生の六月中旬。なすすべもなく家に閉じこもっていたこの期間の記憶が、僕ははっきり言ってあいまいである。
 まだまだ、完全に油断できるわけではないが、徐々に段階を経て僕らの生活は戻ってきつつある。ただし、条件がある。手洗い、うがい、ソーシャルデイスタンスはまだいい。けれど、ウイルス防御と拡散防止のダブルの意味をもつといわれているマスク。これが僕はどうにも苦手なままである。
 今年の夏は暑く、長かった。九月に入ってもまだまだ暑い日は続いた。マスクは正直言ってつらかった。けれど一番の理由はそこじゃない。なによりも僕が困ったのは、相手の表情や言っていることが、マスクなしの時に比べると、マスク着用時は本当に分かりにくいのである。そこで僕はいろいろなことを想像してしまう。本当に言っていることと、友人たちの本音の間にずれがないのだろうか? 聞き取り間違いはないだろうか? などだ。 
 そうして僕の全神経の会議が僕の脳内で行われるわけだ。話している相手の真意ををくみ取ろうとするものだから、マスクなしの生活の頃よりどっと疲れる。それだけ集中してもあまり表情が変わらない友人や、ジェスチャーを全くしない友人の真意を推測するのは難しい。
 それでも……いくら大変であっても、毎日学校があることや、マスク越しながらも毎日友人たちと会話が出来ることは、大変に感じる事柄を大きく上回ってうれしさが勝つ。
 透明人間ならぬ、透明のマスクが普及されない限り、この全神経集中&相手の心をくみ取る「修行」はまだまだ続くだろう。これから、冬に入ると未知のウイルス以外にもいろんな病気がはやる季節となる。ますますマスクは僕たちの生活の中心的な存在になるのだ。
 マスクの下にある相手の口元の表情を想像しながら、僕は今日もまた“普通”でも“当たり前”でもない、「努力の先にある毎日」の中で、全神経を集中させて「修行」を重ねる。そしてこのいろんな意味でスペシャルな体験と共に、やっかいだけれど毎日の有難さを教えてくれた日常生活そのものを、工夫しながら、友人たちと一緒に仲良く過ごしていきたいとおもう。いつか、マスクなしで肩組んで、笑いあえる日が来ることを信じ、祈りながら……。

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