一般の部

佳作

一本の素麺
北海道札幌市 石河 真奈美いしかわ まなみ(41)

 「じいちゃん! 落ちたもの食べないで! こどもが真似するから!!」
 じいちゃんには、精一杯優しく伝えたが、私は、一本の落ちた素麺そうめんを、足で踏んでしまったことに悲しみ、足の裏で、べちょっとつぶれている素麺を、迷いなく食べるじいちゃんに、心の中で「やめてほしい」「汚いなあ」と思っていた。何回止めても、「大丈夫。まだ食べられる」。
 「もったいないから落ちたくらいでは平気だよ。食べられることにありがたいと思うんだよ」といつも言われていた。でも、当時の私は、正直、落ちてつぶれたものまで食べるじいちゃんの考えがよくわからなかったし、理解する気もなかった。衛生上も、教育上もよくないからやめてほしいと思っていたし、そこまで困窮こんきゅうしているわけでもないのにと思っていた。
 でも、じいちゃんが九三歳で亡くなり、お葬式での故人の紹介で、「じいちゃんが捕虜ほりょだった」ことをはじめて知った。小さいころから樺太からふとで生活し、製紙工場で仕事をしていたじいちゃんは終戦と同時にロシア軍の捕虜になり、数年間シベリアにいたという。教科書の中の出来事だと思っていたことは、身内に起きていた事実だった。無事に日本に帰ってきた後は、捕虜時代の話を決して誰にもしなかったという。二度と思い出したくない考えたくもない「壮絶な日々」を送ってきたのだと容易に見当がついた。そして、「一本の素麺」を大事にする理由も、ばあちゃんが、じいちゃんの前では、日本語しか話さなかった理由もわかった。
 私のばあちゃんは、日本人だが、ロシア語を話せる。小さい頃は、ばあちゃんが呪文じゅもんを言っているのだと思っていたが「アヂーン・ドゥバアー・トゥリー」と、いつもロシア語で数をかぞえていたらしい。そのことを知ったのは、私が大人になり息子がロシア語を習い始めてからだ。息子は何を思い立ったか、小学生になると突然「ロシア語を習いたい」と言い出し勉強を始めた。
 ある日、ばあちゃんの家に遊びに行ったとき、息子がばあちゃんにロシア語で話しかけると、当たり前のように会話が成立していた。ひいばあちゃんと、ひ孫の会話は、何を話しているのか周りの大人たちにはわからない外国のことばだった……でも二人は話が通じ合っているようで、不思議な光景だった。
 そして、ばあちゃんは昔の話をしてくれた。「樺太」に住んでいたことを。樺太にいたころは、とても幸せな楽しい毎日で、近所にはロシア人がたくさんいて、当たり前のように友達になり、お互いの国のことばで話していたという。でもいつのころからか、しだいに戦況が変わり、日本の敗戦とともに、生活が一変したこと、あっという間に、樺太は占拠され、銃を持った兵隊たちが、ドアを蹴飛ばして入って来るたび、「いつ殺されるかもわからない」とふるえながら押し入れの中に隠れ、息をひそめて時が過ぎるのを待っていたという。仲良くなったロシア人の友達も、別れを惜しむこともできないまま、お隣さんでさえ、生死すらわからなくなり、ロシア語は、話してはならないことばになっていたのだと。
 それでもロシアとのつながりは消えてはいなかった。ばあちゃんが、樺太を去り、七〇年経ったころ、樺太時代のことも何も知らない自分のひ孫が、かつて幼き日々に国籍や人種のへだたりなく話していたロシア語で話しかけてきたのだから……。
 現在息子は、先の見えないコロナ禍から「医師になる」という、目標をみつけた。毎日流れるニュースでも、医師の大変さや責任、様々なものを感じているはずだが、それでも、こんな時代だからこそ「人の生命」を救う大切な役割を、自分が担っていきたいという。世界で続く様々な争いや病気で犠牲になっている人を、一人でも多く救いたいと「国境なき医師団」に入ると決めている。ひいじいちゃんが、決して語らなかった捕虜生活も、ひ孫の心に「ことばのないことば」として刻まれている。「一本の素麺」を大切にする意味を知っているから、二人の気持ちはずっとつながっている。
 一生懸命、必死になって、つながりを求めたり探さなくても、縁があれば導かれ、必然的につながっていくのだろう。良いことも悪いことも、良い縁も悪い縁も、世の中は、すべて何かでつながっている。今、自分には全く関係ないと思っている、あのことやこのことや、興味のないこと嫌いなことが、数年先には当たり前のように日課になって、大嫌いな場所が、自分のいるべき場所になっているかもしれない。
 普通に生きていたら会えるはずがなかった人に会えたり、嫌いな人と親友になったり、人生、どこでどうなるかわからない。わからないからおもしろい。だから今この瞬間を無駄にせず生きていきたい。
 今日出会った人と、また会えるとは限らない。「一期一会いちごいちえ」の精神で、すべての今に感謝して生きていこう。負の出来事があったとしても、転じて必ず正になる。それが人生、すべてはひとつにつながっている。

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