
七十五歳で他界した父は面白味がまったくない退屈な人だった。趣味らしい趣味は何ひとつなく、楽しみといえばテレビで時代劇を観ることぐらいだった。食事時も黙々と箸を動かすだけで、家族と雑談をすることはなかった。仕事が休みの日は家でゴロゴロするだけで、スズメにパン屑を与えるために庭に出るのが唯一の外出だった。
それでも、仕事だけはどれほど長時間労働になろうとも愚痴ひとつこぼさず黙々とこなしていた。かといって、仕事をするのが好きだったというわけでもない。
いったい何を楽しみに生きているのだろう、と思春期の頃はただ反発だけを感じていた。もっと充実した生き方ができないのか、と。
実は、私は父の本当の姿を知らないらしい。母と伯父が口を揃えてそう言ったことがある。私が大学生の時だった。父の過去の秘密について初めて話してくれたのだった。
私が生まれたばかりの時、父は交通事故に遭い、脳に損傷を負って生死の境をさまよったという。母は医者から「覚悟してください」と告げられ、途方に暮れて乳のみ児の私を抱きしめたそうだ。ところが、医者の予想を覆して、父は奇跡の生還を果たした。しかも、医者も驚くばかりの回復を見せ、三か月後には退院して元の生活に戻るほどだった。
しかし、厳密に言えば、父は元の生活には戻れなかった。いや、元の自分に戻れなかったのだ。事故は父を変えてしまっていた。
「あの事故の後は、まったく違う人間になってしまった。別人になったんだよ」
母がそう嘆くほど、父は変わってしまった。脳の損傷が原因であることは間違いない。父は多くのことに興味を失ってしまった。野心も夢も無くなってしまった。何をするにも意欲が湧かない人間になってしまった。
そんな別人となった父しか私は知らない。物心ついた時からずっと、私にとっての父はそういう人だった。事情を知らずに、そんな父だけを目にして思春期へと成長すれば、覇気のない父親に反発しか感じなくなるのも無理はない。
面白味のない人間にはなったが、父は仕事だけは黙々とこなした。後遺症が残っているのにもかかわらず、通常の仕事に加えて、アルバイトまで毎夜のようにこなしていた。
これも大人になってから聞かされたのだが、職場で父は自尊心を傷つけられる日々を送っていたらしい。後遺症のせいで周りから疎んじられ、他人と接触のない閑職へと追いやられていたのだ。それでも父は働き続けた。単調な仕事を淡々とこなした。給料も減らされたので、それを補うためにアルバイトをした。
夕方家に帰ってくると、食事をかきこみすぐに夜の仕事へと出かけて行った。夜遅くに帰ってくると、次の日の仕事のためにすぐに寝床に入るのだった。そんな毎日を父は何十年も繰り返した。土曜日の夜はバイトもなかったのか、ソファに寝転んで時代劇をテレビで観ていた。日曜日はどこにも行かずに家でゴロゴロしていた。庭に来るスズメだけがただひとつの友だちだった。
そうやって、真面目に働くだけの生活を父は定年まで続けた。定年退職をした時には、私と妹は独立していたので、父もようやくのんびりと暮らせるようになっていた。
その後、私も働きながら子育てで苦労しつつ、子どもたちが大学を卒業して独立した家庭を持つ年齢となった。親として長年の経験を積んで、ようやく父の人生を本当に理解できたような気がする。父が何のために生きてきたのか今ではわかる。
父は自分の人生を家族のために捧げたのだ。あの事故のあと、奇跡的に拾った命をただ家族のために費やそうと決めたに違いない。私と妹が自立するまで、と必死に働いたのだ。自分の楽しみはすべて後回しにして、妻と子どものために働き続けることを決心したのだ。
単調な仕事を淡々とこなし、自尊心を傷つけられても必死に耐えた。そのおかげで現在の私がいる。現在の妹がいる。すべて父のおかげだ、そのことにようやく気がついた。
自分の知っている、別人になった父は立派な人だった。それが私にとっては本当の父の姿だと、今では誇りを持って言える。