
三人目を出産し、毎日があわただしい育児の日々。テレビで「女社長特集」を目にした。画面の中の凛とした女性の姿に目を奪われた。年商、外見、ステイタス、全てが、私の現実とは別世界。すっぴん、部屋着、散らかった部屋。画面の中の華やかさとは、まるで違った。
「こんなはずじゃなかった」
学生時代、夫とは同じ土俵で会話ができた。結婚しても働き続けると思っていた。しかし、子どもが生まれると、現実はあっけなく覆される。夫は仕事にかかりきりで、私はすぐにワンオペ育児になった。せっかく得た講師の仕事も、子どもの発熱続きで手放すしかなかった。
ある日、夫の部下の女性が、我が家に手土産を届けに訪ねてきた。ロングヘアにスーツ・ハイヒール。私は乳児を抱えたまま玄関に立って応対した。ドアを閉めた後、鏡に映った自分の姿に思わず目を逸らした。くたびれた生活感いっぱいの女。近くのコンビニにも行けない格好。みじめだった。
「今は働けない。でも、いずれ動ける時が来る」
その思いが、私の胸に初めて“決心”の火を灯した。私は、子供が幼稚園に行っている時間にペン習字教室に通うことにした。履歴書は手書きの時代。美しい字は第一選考に通りやすいと考えたのだ。周囲の受講者は日々の楽しみのために通っていたが、私は必死だった。ペンを握る手に、崖の岩肌をつかむ覚悟を託していた。「力を抜いて書きなさい」と先生には言われたが、つい肩に力が入り、がちがちでペンを動かしていた。
子供三人が幼稚園を卒園するまでには、しばらく時間がかかった。幼少時から鍵っ子だった私は、子供が母親を必要とする時期には、子供に寄り添うと決めていた。東京に転勤になった時、末っ子がやっと小学生になった。
さあ、今だ。
引っ越しの段ボールを片付けた翌日、私は十年ぶりに面接に向かった。最初は短期の仕事。その後、育児と両立できる事務職を探し、履歴書を何枚も書いた。パソコンスキルはゼロから学び直し、公共講座にも通った。パソコンスキルは夫を抜いた。しかし面接で、家庭にいた時間は“空白”と見なされることが多かった。
「この時間は、子どもを育て、自分も育て直した時間」と心で唱え、次の面接に向かった。それでも、年齢の壁とブランクは不利だった。正社員にはなれず、現在も派遣社員として働いている。
やがて、私は決心した。「雇うところがなくなるなら、経営者になろう」。仕事帰りに、専門学校に通い、土日は部屋にこもって勉強した。家族は「受かりっこない」と冷ややかだった。しかし、三年後には国家資格を取得し、小さな会社を立ち上げた。名刺に「代表取締役」と印字された文字を見たとき、テレビの中の女社長に少し近づいた気がした。
大学生になった息子が、派遣先のオフィスに、忘れ物を取りに訪ねてきた。汗だくで現れた彼に、「このオフィス、冷房が強いのよね」と声をかけながら、ビル1階のコンビニでアイスを買った。アイスを手にした息子は、ビルの規模の大きさに、ぽつりとつぶやく。「……すげぇな」。家では家事に追われるお母さん、どうせ会社でも、簡単な事務のおばさんだろう、と思い込んでいたのが、誰もが知る企業の、東京一等地のビルで、パソコンを駆使して働いていたのは衝撃的だったようだ。驚く息子の態度に、少し嬉しくなった。
母としての役割はもちろん大切だが、息子は、本気で働く母の姿を、初めて目の当たりにしたのだろう。
一旦、社会から離れたら、社会復帰にハードルが高いのは実感した。復帰への崖は高い。しかし、誰かがロープを垂らしてくれるのを待つのではなく、自分で崖のどこに手と足をかけるかを見つけ、登るしかない。何度も落ちかけ、止まりそうになったこともあった。それでも決心を持って、また登った。もともとゼロなのだ。何回繰り返しても、あきらめないことが、一番大事。
ペン習字教室から、私の再出発は始まった。小さな決心の積み重ねが、今日の私を作ったのだ。子育てと仕事の両立、資格取得、起業――すべてが、あの時胸に生まれた「動きたい」という気持ちから始まった。
崖を下から見上げていた気持ちはまだ忘れていない。落ちてもまた立ち上がる。小さな決心を重ねることで、私たちは前に進めるのだ。
派手さはない。けれど、毎日の努力と決心が、私の人生を変える崖を登る力になった。
崖はまだまだ高い。どこまで登るかは自分次第。それは性別、年齢は関係ない。崖は、私が決めた限り、登り続けられる。それが、これからも続く私の決心だ。