一般の部

優秀賞

61歳からの出発
石川県河北郡 星野ほしの 敏子としこ(61)

 私は今61歳だ。これまでの人生を振り返って、決心したことは? と自分に問いかけた時、ある場面が浮かぶ。私は26歳で深く考えずにお寺に嫁いだ。無宗教の家族のもと団地で育ち、お寺は観光で行くところとしか思っていなかった私だから、それはそれは苦労した。
 お坊さんのくせに欲にまみれた夫にはげんなりしたし、物を贈ったり贈られたりに翻弄ほんろうされ、やれお布施ふせが少ないの、檀家だんかが物をもっていくだの、一般人より世俗にまみれているような坊守ぼうもり(義母)も好きになれなかった。何よりも信仰心がどうしても芽生えないのだ。お経の間、「長いよお~足がしびれる~はよ終わってくれ~」と心の中で思っていたことは誰も知らない。ありがたいご法話を聞いても、一瞬感銘を受け、夜には忘れている。
 そんな私が変わったのは、住職(義父)が亡くなった時だ。住職は優しかったから好きだった。両親はまだ健在で、身内の死は初めてだったから、私は動揺していた。
 枕経まくらぎょうと言って、亡くなったとき次々僧侶がおとむらいに来て枕元で阿弥陀経あみだきょうを読むという習慣がある。私は義父の枕元に座り、次々やってくる僧侶を迎える役目だった。その時、不思議な感覚を味わった。阿弥陀経が心の奥底に触れてくる。意味の分からない言葉なのだが、心地よく私の悲しみをでてくる。ずっとお経の世界にひたっていたいのだ。足も全くしびれない。
 私の横に一緒に座っていた檀家のおばあちゃんに思わず聞いた。「阿弥陀経がありがたくて、ただただ心地いいんです。なんででしょう?」。すると、おばあちゃんは私の顔をじっと見つめて、「しんぞうさん(若坊守のこと)、よかったよかった。南無阿弥陀仏」。そう言って、にっこり笑って、私のひざをポンポンとたたいた。
 年月を重ねる中で、いろんなことがあった。足を悪くして歩けなくなったおじいさんが、もう一度だけお御堂で阿弥陀様に手を合わせたいと、お寺の廊下をはうようにして20分かけて本堂にたどり着き、涙を流しながら手を合わせている姿を見たとき。私はそのおじいちゃんの中に阿弥陀さまを見た。
 腰が90度曲がり、耳も聞こえなくなってしまった隣に住むおばあちゃんが、いつもいつも草むしりをしてくれる。「ありがとう」と耳元でいうと「草が私のためにはえてくれとる。ありがたいことや。南無阿弥陀仏」。この時もおばあちゃんの中に阿弥陀さまが見えた。いつのまにか坊守の中にも、義父亡き後住職を務めている夫の中にも、阿弥陀様の姿を見るようになっていった。
 そうして私は決心した。私も慈悲の心をもつ仏教徒でありたい。たどりつけるかわからないけれど、縁があってお寺に来たんだ。恥じない生き方をしていこうと。私が見たのは見えないものだ。つまり、見えないものに一番の価値があるということだ。
 それに気づいてから、私の仕事への向き合い方も変わってきた。私は高校の教員をしている。生徒に対しても見えないものを見ようという姿勢で向き合うようになった。問題行動を起こしても、そうせざるを得なかった何かがあるはずだと、見えない原因を探るようになっていった。心を閉ざす生徒にも、見えない心をどうか教えてくださいと祈るようになっていった。
 そして、今、私は夜間定時制高校の教員をしている。志願して手に入れた新たなステージだ。これまでいろんな面でつまずいてきて、やっとここにたどりついた生徒たち。その心の声に耳を傾けたいと心から思っている。
 不思議なもので教員世界には暗黙の階級めいたものがある。学習困難校より進学校の先生の方がエリートで、まして、定時制や通信制の教員は普通高校では役に立たない訳ありの人物で、その中でも夜間高校は使い物にならないはきだめの集まり。そんなイメージは実は一般の方にもあるのではないだろうか。
 私も若い頃は、夜間高校に務める自分の姿など想像したこともなかった。でも今はそんなくだらないイメージなど、どうでもいい。一番心が見えづらい生徒の近くにいたい。これが私の二度目の決心。61歳で、新たな教員生活のスタートだ。

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