
命短し恋せよ乙女というフレーズで有名な「ゴンドラの唄」という歌がある。しかし、恋という名のゴンドラはあいにく、決心をしなければ進んではくれない。私のゴンドラはあのときの決心によって、ゆく道を選んだ。
好きな人がいた。そのとき私は小学五年生で、その人は小学六年生だった。それは卒業式のことだ。本来なら五年生は全校生徒を代表して、六年生の卒業を送るはずだったが、その年は新型コロナウイルスが蔓延していて、三密を避けなければいけないなどで、六年生の卒業を送ることはできなかった。
私はその人の卒業を送りたかった。これが最後になるかもしれないと思ったから。その人に会えるのが、声を聞けるのが、話せるのが、これで最後になってしまうと思ったから。でも、私のそんな思いは虛しいままに、五年生が六年生の卒業を送ることは叶わなかった。
卒業式当日。私は朝からそわそわしていた。時計を見る。午前十時。今頃は卒業式が始まったくらいだろうか。もう一度時計を見る。私はふと、花屋さん開店したかな、と思った。三密を避けなければならないのはわかるけれど、私個人がその人を送るのはいいのでは……と私はふと考えた。やはり駄目だろうか。私がたった一人増えてしまうのも、三密になってしまうのだろうか。でも、これが最後なのだ。最後、なのだ。
私は花屋さんへと走った。かわいい小さな花束を買うと、今度は小学校へと走った。小学校に着くと、卒業式がちょうど終わる頃だった。私は大勢の人の中からその人を見つけると、その人のところまで走った。その人は驚いた様子だったけれど、「来てくれたの?」と笑ってくれた。私は「うん」と頷いて、「卒業おめでとう」とその人に花束を渡した。その人は「ありがとう」と言って、花束を受け取ってくれた。
そのときの様子は、今でも写真に残っている。そこにはスーツをかっこよく着こなしたその人と、いつもと代わり映えのない普段着の私が写っている。そんな二人の姿はなんだかちぐはぐで、ちょっとおかしくて。でも今では、とても大事な一枚になっている。
その後はラインを交換して帰った。残念ながら、交換しただけで特にやりとりとかはなかった。でもあのときラインを交換していてよかった、と思える出来事がつい最近あった。
その人の卒業式から約四年が経ち、私は中学三年生になっていた。夏休みに行われた三者面談の帰り道のこと、西武新宿駅で電車に乗り込んだちょうどそのとき、スマホのバイブが鳴った。スマホを確認すると、「今西武新宿駅にいた?」とラインのメッセージが入っていた。懐かしい、その人からだった。
そうしてゴンドラは動き出す。命短し恋せよ乙女。あのときの選択は間違いではなかったのだと、あのときの決心は今このときのためにあったのだと、知るために、私のゴンドラは今、ゆっくりと、動き出した。